33歳まで野菜を口にしなかった農家がつくる「日本一のニンジン」の秘密

よみもの

福島県郡山市逢瀬町で、農薬栽培のニンジンをはじめ、多くの作物の栽培に取り組む小野寺淳さん。実は、子どもの頃は大の野菜嫌いで、33歳になるまでは一切野菜を口にしていなかったそうです。しかし、そんな小野寺さんは人生を変えるあるニンジンと出会い、農業の道を志しました。「口に入るまでが農業」というモットーを掲げ、栽培をはじめレストラン経営やジュース販売まで手掛ける小野寺さんの、野菜とともにある人生について伺いました。

(聞き手:小笠原隼人 編集:金舞幸、髙田優花)

 

小野寺淳(Onodera Atsushi)

福島県郡山市出身。農業生産法人株式会社agrity代表。就農して2年目に「ファースト農法」と名付けた独自の有機栽培農法でつくるニンジンで「オーガニック・エコフェスタ2018」夏ニンジン部門最優秀賞受賞。自社で栽培した野菜を使った料理を提供する農家レストラン「Blue Bee」の経営や独自の商品づくりにも取り組んでいる。

 

 

――現在、故郷である郡山市逢瀬町でニンジンづくりをされていますが、幼い頃からここで採れるニンジンが好きだったのですか?

いや、ニンジン含め野菜は大嫌いでした。母親がつくった野菜料理とかは食卓に出ていたのですが、全く手を付けませんでしたね。小学校の頃は、海苔巻きに醤油とマヨネーズをつけたものを食べて育ちました。野菜が入っているコロッケもあまり好きではなかったですし、いなり寿司の中に入っているニンジンとかも注意深くよけていました。10代の頃は、とにかく華やかな世界に憧れていて、田舎を出るということにしか興味がなかったので、野菜の田舎臭い感じがどうしても好きになれなくて、気嫌いしていました。

小学校から高校まで野球をしていましたが、身体づくりが一番大切ともいえる高校球児のときでさえ野菜は食べませんでしたね。プロテインでも飲めばいいと思っていました(笑) この町で採れる野菜を好きになるどころか、こんなところいつでも捨ててやるとさえ思っていて、高校卒業と同時に上京しました。その頃流行っていた古着への憧れもあり下北沢などに住み始め、バイトをしながら仲間と一緒に駒沢公園でBMX(注1)に乗ったり、イベントをやったりしました。そんな生活を4・5年続けた後、たまたま実家に帰ってきたときに友人の紹介で現妻と出会い、地元の会社に就職も決まったので、郡山に帰って来ることになりました。この頃も、まだ野菜嫌いは治っていなくて、全く食べていませんでした。

注1)BMXとは、Bicycle Motocross(バイシクルモトクロス)の略で自転車競技の一種である。ここでは、その競技で使う自転車のこと。

(打席に立つ高校時代の小野寺さん。高校1年生では甲子園にも出場した。元日と大晦日以外、朝から晩まで練習する日々だった。)

 

――そうだったんですか。そんなに嫌いだった野菜をなぜつくろうと思ったのですか?

郡山に戻って数年ほどが経ったときに、親父が癌で突然亡くなってしまいました。それをきっかけに親父の田んぼを引き継いで、まずは兼業農家として米づくりを始めたのです。その後しばらくして起こったのが、東日本大震災です。震災当時、自分は兼業農家だったのでダメージは比較的少なかったのですが、困っている専業農家さんの姿をすぐ近くで見ていました。なんとか助けになりたいというか、もっと農業についていろいろ知りたいなと感じて、「まずは野菜を食べてみよう」と思い至りました。その時に初めて食べたのが、郡山のブランド野菜「御前人参」でした。これがすごく美味しくて、こんな美味しい野菜が作れる農家になりたい、嫌いを好きに変えられるぐらいに美味しい野菜を作ろうと思いました。野菜に関する知識を得るために野菜ソムリエの資格をとる勉強をしたのですが、学んでいくうちにどんどんおもしろくなってきて、専業の野菜農家になろうと決意しました。

 

 

――専業農家として農業をすることに不安はなかったのですか?

もちろんありました。でも、根拠のない自信があったというか、農業という仕事が好きな自分がいたので大丈夫だと感じていました。農業は、作物一つ一つを丁寧に見てあげると、ちゃんといいものになるというか、おいしいものになるんです。ただただ種をまいて終わりではなくて、肥料の種類や時期を考えながら成長過程を見守るのもすごく楽しいです。米づくりを通してそれを実感していたので、愛情を重ねていくと本当にいい野菜がつくれるだろうという確信と自信がありました。

震災後、野菜農家になると決めて5年くらいは、会社が休みの日に野菜の勉強をしたり、郡山の鈴木光一さん(注2)のところや、岩手や青森、高知などの農家さんのところに行って勉強させてもらったりして、最後は家族の反対を押し切って半ば勝手に勤めていた会社を辞めました。それまでしていた仕事は、高速道路の建設や管理に携わる会社で、やりがいもある反面、高速道路で事故が起きたときに駆けつけて処理をすることもあり、事故で亡くなる人を目の当たりにする中でストレスも感じていました。仕事を辞めることに大反対だった家族も、当時を振り返って「仕事を辞めて収入は減ったけれど生き生きしているね」と言われています。

注2)鈴木光一さんとは、鈴木農場・伊東種苗店代表の鈴木光一さんのこと。小野寺さんが農業をはじめるきっかけとなった郡山ブランド野菜の立ち上げ人でもある。年間300種類以上の野菜を栽培している。

 

――兼業農家になられてからも苦労が多かったと思いますが、振り返ってみていかがですか?

専業農家になるまで米作りしかやったことがなく、畑でのトラクターの動かし方も全然わかりませんでした。近くの畑に行って一日中トラクターの動きを見ていたこともあります。また、改めて全国の農家さんのところに出向いて、2~3日一緒に農作業しながらいろいろなことを学んで、美味しい野菜がつくれる畑の条件を研究しました。自分の目指す野菜には土の柔らかい畑が適していると感じていたので、畑選びにはとにかくこだわりました。細い棒を持ち歩きながら街中の休耕地を回って、棒が深く刺さる畑を探したりもして、そして見つけたのが、今の畑です。この場所に適した有機栽培でつくったニンジンが「オーガニック・エコフェスタ」(注3)で最優秀賞を受賞したので、いろいろな農家さんを訪ねて研究した読みは当たっていたのかなと思います。

注3)オーガニック・エコフェスタとは、高品質多収穫の技術力のある生産者と、野菜本来の力を理解し、新しい食生活の提案を求める消費者とのマッチングを目指した全国規模の祭典。小野寺さんが出場した栄養価コンテストは、農産物の糖度・抗酸化力・ビタミンC・硝酸イオンを測定し、農産物のおいしさと栄養価をチャート化し採点される。

 

引用元:オーガニックエコフェスタ2018栄養価コンテスト受賞者紹介(http://organicfestarecords.blogspot.com/2018/04/2018.html)


受賞はとても嬉しかったし、自信の持てる出来事だったのですが、いいニンジンができても「売る」ということには苦労しました。最初は直売所に持って行っていたのですが、100袋持って行ってほとんどが売れないということもしばしばで、つくったニンジンの多くを廃棄してしまっていました。一本一本のニンジンに目を配り愛情をもって育て上げているからこそ、一本も無駄にしたくないなと思っていたので、せっかく作ったニンジンを潰してしまうのは本当に心苦しかったです。「10万本のニンジンをつくったら、10万本全部をお客様のところに届けたい」と思い、ベジタブルレストラン「Blue Bee」の運営と「the 1st NINJIN」の開発に着手しました。

「Blue Bee」は、畑で採れた新鮮な野菜を使った料理が特徴のレストランです。飲食店は未経験だったので、レストランの経営は本当に手探りでした。友人たちにも手伝ってもらいながら、DIYをして店舗を作り上げました。最初はシェフも雇っていたのですが、地元で採れる野菜の味を活かしたいと考え、地元の野菜の味の活かし方を熟知している近所の奥様方にご協力いただいて、メニュー開発を行いました。

「ニンジンジュース」は、ニンジンそのままの美味しさを楽しめる独自開発のジュースです。コールドプレスという方法を用いて、ニンジン本来の味と栄養を届けられるようなジュースを目指しました。最初は小さな機械を購入しジュースづくりを進めていましたが、より多くの皆様にお届けするため、より大きな機械を購入するためのクラウドファンディングにも挑戦しました。「ニンジン嫌いの子どもたちでも美味しく飲めるようなニンジンジュース」として話題になったことは嬉しかったです。

(小野寺さんのつくった野菜を提供するレストランBlue Bee)

(コールドプレスジュースとそれを作る機械)

(Blue Beeで提供しているランチプレート。
小野寺さんの育てた野菜を使用している)

 

――畑、土にこだわった有機栽培での生産はとても大変だと思いますが、無農薬へのこだわりの理由は何ですか?

無農薬にこだわっているというよりは、この場所に合っていたのが無農薬だったという感じです。農薬は、正しく使えば世間で言われているほど危ないものでもないので、使っても大丈夫だと思っています。でも、うちの畑は農薬を使わない方が美味しいですから。本当に美味しい野菜を作りたいという気持ちを大切にして無農薬で育てています。

もちろん除草剤も使えないので、日が沈むまでひたすら雑草を抜き続ける日もあります。「もう我慢できない! 今日こそは除草剤撒いてやるぞ!」と、朝に家族に伝えてから家を出たときもありましたし、実際に、自宅の庭に撒いている除草剤と散布用の機械を車に積んで畑に行ったこともありました。そして、畑の前で散布のスイッチを押そうと手を伸ばすんですけど、スイッチを押す直前で「……やっぱり、やめよう」って思って、除草剤を車に戻して、また草取りを続けたこともあります。そんな毎日の繰り返しでした。

でも、無農薬を続けていると、作物自体が強くなって、あまり害虫が寄ってこなくなります。土も強くなって、だんだん雑草が生えにくくなるので、手間は減ります。人間もそうだと思うのですが、身体じたいが強くなれば、いろいろなものを取り込まなくても健康でいられますよね。野菜も同じだなと思います。

 

 

――今後の展望・目標を教えてください。

野菜でこの地域を盛り上げられたらいいなと思っています。大嫌いな町だったんですけど、この歳になったら、すごく良いところ、例えば野菜が美味しくできるとか、色々良いところが見えてきました。この場所でしか出せない味があるという確信も自分の中にできました。地域の子どもたちに、「この町にはいいものがある」ということを知ってもらいたいです。また、私は畑で作業しているときが本当に一番楽しい時間だと思っているので、世界中の野菜、作れる野菜は片っ端から作りたいなと思います。

今後は、八百屋を経営することも考えています。私は「お客さんの口に入るまでが農業」だと常々思っています。自分たちが一番良いと思った仕上がりの野菜を、一番良い状態のまま、すぐお客様に出せる。八百屋っていうのは、自分の思いを実現できるような場所になるのではないかと思っています。

(形の悪い野菜を使って、障がい者のみなさんと一緒にカレーを作る事業も2020年からスタート。NPO法人しんせいのみなさんと)

 

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