薬草の郷の守り手 清水薬草店3代目 清水琢さんインタビュー

よみもの

会津が、薬草の郷であることを、ご存知でしょうか?

古くから、生薬が採れる地域であった会津・喜多方の地で、3代続く生薬問屋「清水薬草店」。今日は、清水薬草店の薬草茶の新商品発売を記念して、そのあゆみに迫ります。

手書きの看板に味わいがある

 

現在は2代目の智さんと、薬剤師として漢方薬局を担う順子さん、そして3代目となる琢さんの3人が中心となって経営されています。

 

-いつから生薬問屋を営まれているのですか?

1946年から、ここ喜多方で生薬の原料の産地問屋として問屋業をしていました。今は医薬品販売免許44品目を保持しているので、生薬の製造・販売もしています。昔は北海道から名古屋くらいの薬局に納めていたようです。生薬問屋というと、大阪に有力な問屋さんが複数あり、そこからビジネスが大きくなるにつれて商圏を東京に移すところも増えてきたのですが、初代である祖父が、産地に近いこの場所で商いをすることを決めて今に至ります。看板にある「麗」の字は、その初代の清水麗億の名前から来ています。

中には、オリジナルの薬草茶や、漢方薬局としての生薬の数々が。

 

続いて、生薬や薬草茶を作る工場に移り、現在の活動についてお話を伺いました。

工場に入ると、漢方薬の心構えがお迎えしてくれる

 

-琢さんの代が、清水薬草店の3代目ですが、継ごうという意思はずっとお持ちだったのですか?

いえ、まったくなかったですね。自分は4人兄弟の3番目で、時代の最先端である通信業界に興味があって、東京でSEをやっていました。向いていたのか、同期300人のうちダントツ1位と言ってもらって、先輩よりボーナスが多いくらい、評価はよかったです。

でも就職して仕事が波に乗ってきた裏で、薬剤師の弟が、実家と別の会社へ就職することが決まって。僕自身、薬剤師ではなかったから継ぐなんて選択肢は考えていなくて、兄や姉も継がないと言っていました。父に今後のことを尋ねると、体調を崩したタイミングでもあったので『潰すしかねぇべ』と言われて、かなりショックを受けましたね。

小さい頃は、ドクダミなんかの薬草が山のように積まれていたお店の裏が遊び場で。他にも、薬草を取ってくださる方の元を父と一緒に訪ねて行って。飯舘村、平田村などへ集荷に行っていましたね。お店が無くなるということは、生産者さんやお客さんとの縁が切れてしまったり、店先にお喋りにだけ来るような常連さんとのコミュニティがなくなったりしてしまうことなので、そこに思い悩みました。

東京で仕事はしていましたが、結婚して子供を育てることを考えると、喜多方で子育てしたいとも思って。継ぐ意思を固めて「結婚したら考えていることがある」と彼女に打ち明けたら了承してくれて、2008年の秋に結婚して2009年に喜多方に戻ってきました。

 

-戻った後はどのように過ごされていたんですか?

まずは、工場での作業を一通りですね。また、前職を活かして手作業でやっていたラベル作成とかをデジタル化したり、伝票処理のシステムを組んだりしていました。

黄色のラベルはお茶として、茶色のラベルは薬として使い分けられている

 

-問屋の清水薬草店が會津人蔘の栽培に取り組まれたのは、どんなきっかけがあったのですか?

震災前は、ホオノキの皮の取引が多かったんです。実は生薬には、成分的に国産でなければいけないものが幾つかあって、福島はその産地でしたから、年間30tくらいの取引がありました。ホオノキの収穫期は7月で、震災があった2011年の収穫は、どうしようか悩みながら、まずは注文の入っている30tを集めました。

9月に初回の発送予定だったのですが、「生薬」には放射線量の基準が食品のようには存在していなくて、まずはその策定・発表を待つことになりました。10月に指針が発表されたのですが、直後の年ということもあって、数値が出て全て廃棄しました。1kgも納品できなかった訳です。

どうしようかと考えていた翌年、會津人蔘農協が解散すると決まりました。殆ど人蔘は国外輸出が主だったのですが、中国産の品質が上がってきて、値段も向こうがより安いことから市場でどんどん押されてきてしまって。かつては人蔘栽培だけで大きな家が立つほどだったのですが、少しづつ、栽培農家さんも減ってきていました。

農協では、會津人蔘の加工施設を持っていて、その清算をしないと解散ができないということで、うちに声がかかりました。会津の生薬問屋としてブランドとしてこれまで使ってきたこともありますし、會津人蔘ブランドの存在は大きく、失くしたくないと率直に思いました。すぐに父と相談し、加工所と栽培技術を引き継ぐことになりました。

 
会津人参のエキスを煮詰めた瓶。

 

-震災と、會津人蔘の継承が、大きな転換点ですね。

震災がなかったら、ホオノキで手いっぱいだったのでニンジンは増やさなかったと思いますよ。引き継いだその時は、自社で栽培までやるつもりはなかったんですが。当初は栽培してくれる農家さんを増やすために、新規の農家さんに栽培指導をしてもらっていて。ところが、ある農家さんに「何度言われても、分かりっこないので来るな」と言われてしまいました。會津人蔘は元々、山の寒い所で育っていたものを人工的に栽培している訳ですから、江戸時代から何年も栽培されてきたものとはいえ、とても手間がかかる上に繊細で、病気にも弱くて。とても難易度が高かったんですね。

その晩すぐに思い立って、「自分たちでも人蔘を栽培しよう」と父と決めました。2013年に會津人蔘栽培研究会をつくって、会員は7名から今では30名まで増えました。

種から栽培を始めて、通常は収穫まで5年間かかるので、今年が初めての5年生の収穫でした。途中、病気での欠株もありましたし、5年サイクルを短くできないかと4年目の去年に収穫してもみたのですが、まったく十分な大きさでは無くて、嬉しさより悔しさが大きかったですね。毎年、新しく種蒔きをしたり、植え替えをしたりする方法を工夫してみているのですが、今年の収穫分はかなりよさそうで、楽しみにしています。

左が1年目、右が5年目。全然大きさが違う…!

 

-引き継ぎから生産の軌道が見えてきた今、これからの展望を教えてください。

家業を守るのではなく、薬草の郷、会津人蔘という地域資源を守りたいという想いで活動を始めた清水琢さん。

栽培研究会自体は、文字通り栽培に重きをおいているのですが、PRの意欲もあるので、両輪でやっていきたいですね。清水薬草としては、人参の栽培をもっと大々的にやりたいと思っています。1反歩作って、1反歩を掘るサイクルを繰り返していますが、いずれ10倍の規模でやっていきたいですね。まだ、経験も資金もヒトも足りていない状況ですが笑。 国産に目を向けると、長野と島根にも生産者さんがいて、以前は産地間競争があったのですが、そういうのをやめて協力できないかと話しているのも、今後の希望です。

-ありがとうございました。

 

そんな清水薬草店から、お茶シリーズ「温」「健」「浄」の3種類が新発売です!

なるべく地元の素材を使用した国産100%、無添加でノンカフェインの漢方茶です。

気温の変化などで体調を崩しやすいこの季節に、会津で古くから珍重されてきた漢方を、手軽に美味しく飲む、体に嬉しい毎日を提案します。

 

清水薬草店オンラインショップにて、期間限定で送料無料キャンペーンを実施中です!

 

■『温』(あいづ にんじん配合)

・冷えに嬉しい8種の素材(オタネニンジン・焙煎ハトムギ・ハトムギ・クマヤナギ・ショウガ・メグスリノキ・サンショウ・アカジソ)を独自ブレンドしています。

 

名称:清水薬草店 温(おん)
内容:25g(2.5g×10包)価格:900円(税別)

 

■『健』(あいづ くまごづる配合)

・毎日の健康に嬉しい7種の素材(クマゴヅル・ハトムギ・タラノキ・ニワトコ・クコの葉・弟切草・クマザサ)を独自ブレンドしています。

 

名称:清水薬草店 健(けん)
内容:20g(2g×10包)価格:700円(税別)

 

■『浄』(あいづ どくだみ配合)

・すっきり嬉しい2種の素材(ドクダミ・ハトムギ)をブレンドしています。

 

名称:清水薬草店 浄(じょう)
内容:20g(2g×10包) 価格:700円(税別)

 

清水薬草有限会社
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TEL 0241-22-0533
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