試練に次ぐ試練を乗り越えて生まれた、サステナブルなビールとは? 本間誠さんインタビュー

よみもの

近年、空前のクラフトビールブームが続く中、田村市の都路地区にブルワリーが誕生しました。その名も「ホップガーデンブルワリー」。運営会社の名前は「HOP JAPAN」。〇〇ビール、〇〇ブルワリーでなく日本の名を冠したこの会社は、そのユニークな立ち上げ経緯から、オープンまでの波乱万丈なストーリーをお持ちでした。代表の本間誠さんにお話を伺いました。

 

―ビールを仕事にしようと思った経緯をまずは教えて下さい。

元々、日本酒が大好きでビールは最初の1杯だけ、あとは日本酒を飲み続けるようなタイプだったのですが、海外で知ったクラフトビールと様々な出会いがきっかけでした。

サラリーマン時代は、仕事もお酒にはまったく関係のない、電力会社に勤めていました。ある時期に海外旅行にハマって、年に5回は色んな国を訪ねていたのですが、ある国でトラブルがあって帰国できなくなり困っていた時に、現地の方に助けてもらいました。当時は英語もあまり話せずに渡航していたのですが、その方に「礼はいいから日本で困った外国人を助けてあげなさい」と言われて、英語を勉強してまた行きたいな…と強く思い、海外旅行客向けのボランティア活動や英会話に通うようになりました。そうしているうちに、旅行で行くよりも、海の向こうで生活がしたくなってしまって。社内の留学(のための休職)制度を使って2年間、シアトルで暮らしていました。ちょうど40代になった頃でした。

 シアトル時代の本間さん

シアトルではクラフトビールのブルワリーが多く、そこで初めて、ビールに香りと味わいがあることに気づきました。アメリカでは、ビールがライフスタイルと結びついているような気がしました。例えば平日であっても、早朝出社し午前で仕事を切り上げて昼からハイキングに行ったり、自分の裁量で過ごせる縛りのない生き方。そして最後は行った先のローカルなブルワリーで乾杯…。日常の交流の拠点に、ブルワリーがあることに感動を覚えました。この時の想いは、ホップジャパンにも活かしたいと思い、できるだけ自由な働き方をしてもらえるように考えています。

日本に戻った翌年、勤務地の仙台で震災を経験しました。一時期は広報として、原子力発電をPRする立場にもありましたが、一日にしてそれまでの神話が崩れたり、津波で身近な方が亡くなったりしたことは大きな衝撃で、今の仕事よりも、もっと地球にいいこと、社会にいいことをしたいと思った時に、一番に浮かんだのはアメリカでの生活でした。

―そこから、ビールの道が始まったのでしょうか。

いえ、すぐに起業するという選択肢は自分の中にまだなく、自分が本当にやるべきことは何なのか模索する日々が続きました。その後2014年に、シアトルで一緒にビールを楽しんだ東京の友人に、ビール事業をやらないかと言われたのがそもそものスタートです。

正直、「今更、素人がビールに参入できるのか?」と疑い半分ではあったのですが、パートナーの構想がとても面白くて。当時、クラフトビール業界に国産の生ホップが届いていないのではないか?という仮説を立てて、ビールそのものではなくて、ビールの一次産業から始めようということになり、その年のうちにホップジャパンを仙台で立ち上げました。

最初は近県の生産組合に話を持ちかけるのですが、なかなか取り合ってもらえず…。何度も通っているうちに少しずつ、彼らの現状を教えてくれるようになりました。国産ホップの流通量が全国消費のわずか10%であること、買取価格が30年前から変わっていないこと、高齢化に対して、蔓が10m以上伸びるため、高所作業にならざるを得ないことなど…。それでも、これから絶対に国産ホップの潮流が来るとお伝えすることで協力いただけることになり、事業化に踏み切りました。

まずは、輸入した海外品種の苗を委託で栽培してもらったホップの販売から始めました。もうひとつ、ホップの販売とは別の大きな柱として、インフューザー(ビールを注ぐ時にホップの香りをプラスする器具)の開発と販売を構想していました。実は、福島に拠点を移したのはこのインフューザーの開発のための拡大資金を出資してくれたのが、県内の銀行が出資しているファンドというきっかけです。

福島に移転してから県内でもホップを栽培してもらえる農家さんを探していたところで復興庁から田村市を紹介されました。当時の副市長が大変にクラフトビール好きで、その勢いでブルワリーも立ち上げなよ、と背中を押していただいたんです。自分の中では、ブルワリーを持つのは事業が拡大していった最後に成し遂げるものだと思っていたので、急に夢が近づいたような気がしました。

―トントン拍子ですね!

いや、実はそううまいことばかりでもないんです…。結局インフューザー事業はあまりうまくいかず、それでもインフューザービジネスにこだわりがある事業パートナーと、田舎の企業として社会や地球にいいことを志向している自分とで方向性の違いが出てきてしまい、2018年からははほぼひとりでホップジャパンを続けていくことになりました。。。

ブルワリーをオープンすることが決まってから昨年開業するまで3年かかりました。まずは候補地選びに迷いました。市街地またはあぶくま洞の近くか、(現在立地している)都路地区の山奥でやるかという選択肢で、ビジネス的には前者が圧倒的に有利ではあるのですが、市内で唯一避難指示区域であったことで復興庁担当者の強い思いがあったこと。またここに場を持つ意義、アメリカ生活で描いた自然環境の中で悠々とした暮らし、幼少期に井戸水を汲んで育った、自然への親しみなどを考えた時に、この場所にするしか選択はありませんでした。

しかし、その選択がまた困難に繋がったのも事実です。当初、元々都路村時代に開発された現田村市の自然体験公園「グリーンパーク都路」内の施設をブルワリーに改修して借りるはずだったのですが、補助金を使っているため使用目的変更となり、償却残存分の返還が必要になります。さらに3つの違う補助金が入っていることで精算するのに何年かかるか分からないと頓挫してしまいました。1年以上経過し、結局地域発展のために貢献する事業であるということで条件付き譲渡契約となり、やっと事業を再開することができました。

ところが、手続きが完了し遂に始められると思ったら、次はファンドの資金元が経営状態の悪化によって体制が変わってしまったことで、追加投資のメドが急に立たなくなりました。身動きが取れずに1年間、私財を投じながら繋いでいたのですが、それも尽きそうなタイミングになって、追加資金が入らない決定が届き…。

 醸造設備は苦労の結晶…。

―普通は心が折れてしまいそうです。

正直、自分も死ぬしかないんじゃないかと思いましたし、周りもやめてしまったほうが、と声をかけてくれることもありました。それでも続けようと決めたのは、ホップを作ってくれている人に顔向けができない、諦めることはできない、という想いでした。

―逆境を切り開いたのはどうしたのでしょう。

福島移転時たまたま紹介され顧問税理士になっていた税理士法人の先生が、実は事業再生のプロだったのです。厳しい財務状況を見て、会社の整理を勧められたましたが、自分が諦めないことを伝えたら、一緒になって資金調達の新たな方策を探ってくれて、4金融機関の協調融資として新たにスタートすることができました。窮地を救ってくれた先生はたまたま紹介されたと言いましたが、実はアメリカ時代共通の友人を通して偶然ホームパーティで1度だけお会いしていまして、運命ってあるものだな、と。

―その後もコロナ禍による工期遅れなど、最後の最後まで逆境が続いた本間さん。やっとの思いで立ち上がったビールについて教えていただきました。

ホップジャパンの定番ビールは7種類。

―陰陽五行のモチーフが目を引くのですが、どんなプロセスで決められたのですか?

まずブランドとしてのデザイン、会社としてのコンセプトを考えて、大自然の循環を表せるもの、と考えているうちに「陰陽五行」を取り入れたビールはこれまでに無いのでは、と気づいて、その後に、陰陽/火水木金土のそれぞれの属性にイメージが合うように、ビールのスタイル(※エールやラガーなどの細かな種類の違い)を決めていきました。

―ホップジャパン、と名のつく通り、ホップへのこだわりも何かあるのでしょうか?

生ホップならではの香りや、品種による風味の違いをキチンと活かせるビールスタイルを選んでいます。正しく扱わないと、美味しいどころかオフフレーバー(※意図しない風味がついてしまうこと)が出てしまったり、ビールスタイルで折角のホップの特徴を誤魔化すようなことになったりしてしまいます。


タップルームで飲める3種の飲み比べ。確かにそれぞれ異なる香りや苦味がしっかり感じられて美味しい。

―ブルワリーが設立して1周年。今後のビジョンをお聞かせください。

これまで色んな経験をして、もう自分としては物やお金への欲求もないけれど、社会をよくしたいという想いだけが残っていて。地球、自然への貢献をしたい。誰もが笑顔になるツールである、ビールを使ってこの想いを表現したいと思っています。この場所も、単にブルワリーを作りたいから建てたのではなく、人をつなぐ文化を通じて社会をよくしたいと思って設立しました。

今は何でも簡単に手に入る時代ですが、簡単に手に入れてしまったものは、簡単に捨てられてしまいます。私達はビールづくりの一次産業からのプロセスを見せることで、生産者の喜びになって、作り手も責任を感じて…最後はその物語とともに飲んでもらうことでお客さんの価値になり、次のお客さんへと伝えていくサイクル。この大きな循環を、もっともっと見せていきたいと思っています。

本間 誠
ホップジャパン代表取締役。
1965年生まれ。山形県天童市出身。
<ホップガーデンブルワリー>
〒963-4702 福島県田村市都路町岩井沢北向185-6
グリーンパーク都路内
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