「大変」って“大きく変わる”と書くんだぜ。赤黒農家の華麗なるトランスフォーム

よみもの

赤と黒に塗り分けた軽トラックが土煙を上げながら全速力で畑につっこんできた。「ごめんごめん、取材今日だったかー。俺忘れちゃうんだよね、酉年だから」と、笑いながら降りてきた男も全身赤黒でキメている。思わずカメラを構えると、「この1ヶ月で8kgも痩せたんだよ。毎日野菜食べて、毎日ジム行ってるから!」とまた笑う。福島県いわき市・ファーム白石の白石長利(ながとし)さん(40)。この調子で走り抜けてきた農家人生を語っていただいた。

——賑やかな冬の畑

ブロッコリー、白菜、キャベツ……、真冬だというのに畑は賑やかだ。パーンと晴れた冬空の下、思わず身を縮めるような強い東風が吹き付けてくる。野菜たちはまるで、ガッシリと土にしがみついて耐えているようだ。ファーム白石では農薬、化学肥料を使わない「自然農法*」で野菜を育てている。「ドンピシャな時期に作るから農薬は要らねぇの。例えばブロッコリーにドンピシャな時期っつうのはまさに今。いわきは冬でも太陽が出て、ほどよく雨が降って、風が強いからブロッコリーには最高なんだよ。寒いから虫は少ない。風が強いと嫌でも乾燥するから、病原菌が繁殖しにくい。寒さに当たっと甘味が増すからうまくなる」。キャベツ畑には、花のように幾重にも葉を広げたキャベツが続く。土はびっしりと雑草で覆われているが、もちろん除草剤も使わない。「雑草を生やしておくと土を保温してくれるから、冬でも土が凍らない。土が温かいと、中の微生物も活動を続けられる」。農業談義に聞き入っていると、「ごめん!午後の配達あるからインタビューは夕方でいい?」と再び軽トラで走り去っていった——憎めない男なのである。
*白石さんが実践するのは「MOA自然農法」。

寒さに当たって紫色になったブロッコリー

——どういう経緯で農家になったんですか?

代々農家の家で、俺で八代目。自然農法を始めたのは俺の代からだけど、それまでも農薬・化学肥料の使用量は圧倒的に少なかった。ここは川の氾濫原にあって元々肥沃な土地だから、肥料をやりすぎるとかえってダメになることを、親父は経験的に知ってたんだな。

高校2年生のとき、アメリカに渡って1ヶ月間農場で研修をした。8,000頭の豚を飼って広大な土地でトウモロコシを育てているような農家だった。大規模なアメリカ農業を目の当たりにして、改めて日本農業ができることを考えさせられた。アメリカのように、“規模を追う農業”は違うな、と……。そんなことをやってるうちに親父が心臓病になって、心臓を切開する大掛かりな手術を受けることになった。医者には「生きるか死ぬかわかりません」と言われた。おかげさまで今でもピンピンして一緒に農業やってっけど、そのときに親父から経営を引き継いだ。まだ高校3年生になったころだったな。農園の代表になって、「俺は本気でやっていくしかないんだ」と思った。当時は日本でもオーガニックが盛り上がり始めたころだったから、将来は自然農法をすると決めた。その後、自然農法の専門学校で1年、東京の農業者大学校で2年学んで、22歳で帰ってきて農家になった。

ブロッコリーを収穫する白石さん

——震災直後、当時はどんな様子だったのでしょうか?

ここは地震、津波の影響はほとんどなかった。ただ、原発事故に伴う放射性物質の問題がデカかった。事故後、野菜は全部出荷停止になって、収穫を前にして畑に放置するしかなかった。事故から1ヶ月後、福島県が行うサンプル検査に選ばれて土壌の放射線量を測った。結果は基準値以下で「問題なし」。結果を聞いたときは安心したね。一部、水の溜まり場などでは高い数値が出たところもあるけど、いわき市はほとんどの地域で問題になるレベルじゃなかった。線量が高い地域では「除染」をやったでしょ。「除染した」って言うと聞こえはいいけど、実は農家にとっては死活問題。除染は、放射性物質が沈着している表層5〜10cmの土を取っ払っちゃう作業なんだ。この部分は、小さな苗が根を張って栄養を吸収する土だから、農業においては一番大事な土なんだよ。除染するということは、人間で言えば生まれてから1〜2歳までミルクが無いような状態ってこと。除染する必要がないのに、除染した農家がいわきにも少なからずいた。そうまでしないと、福島県産の信頼は回復できないと思ったのかもしれない。

ハウス栽培のパクチーを前に

——ファーム白石の風評被害はどうだったのでしょうか?

基本的に誰も買わなかった。特にいわき市内ではまったくダメで、地元で売れないから外に出た。東京の販売会に行くと、「応援・支援」の意味合いでよく買ってくれた。一方で、会場から少し離れたゴミ箱に俺たちの野菜が捨ててあるのを見かけることもあった。次第に、「地元で食べないものを都会で売る」っていうのはどうなのかな……と葛藤するようになった。東京の人と付き合っているのもいいけど、いずれは地元。やっぱり地元を振り向かせたい。

風評被害払拭のために、まず始めたのはSNS。最初は安心安全を伝えようと思って投稿してたんだけど……、やってる俺自身が面白くなくて(笑)。俺という人間を全部オープンにして判断してもらおう!と、仕事もプライベートもごっちゃまぜにして発信した。そうやったほうが楽になったし、消費者も気軽に関わってくれるようになった。例えば、朝、直売所に行って、黙ってテンション低く野菜を並べている農家と、「おはようございまーす!」って元気に野菜を並べてる農家がいたら、どっちの野菜を食べたい?9割の人は元気な農家の野菜を食いたいと思うんだよね。暗い顔してると、心配はしてもらえるかもしれない。でも“心配”で毎回買ってくれるかな?安全安心はもとより、「楽しい・おいしい」を前面に伝えることにしたのね。その中にちょっと真面目な話、現場の状況を織り交ぜて。

もう一つ取り組んだことは、料理人との連携。実は俺、「料理人」って一番嫌いなタイプだった。料理人といえば、店の利益を出すために安く仕入れたいという人ばかりというイメージ。「A品じゃなくてB品やC品でいいから持って来て」って、しょっちゅう言われてたから。当然、農家はB品やC品を作るために農業をやってるわけじゃないから、カチンとくる。震災後、いわき市内にフレンチレストランを構える萩春朋(はるとも)シェフと出会った。俺、萩さんにもハッキリ言ったんだ。「料理人は買い叩くばかりだから困る」って。そうしたら、「料理業界はそういうところがあるんだ。結局料理で単価を取れないから、原価を抑えるしかない……」と教えてくれた。萩さんのすごいのは、その構造を変えるために、1日1組限定の高価格帯のお店に変えたこと*。「生産者から、食材を言い値で変えるようにしなきゃいけない」という言葉を体現したんだ。スゲーよな。萩さんとはお互いの現場を行き来して、語り合って、すぐに意気投合した。

農家と料理人って、本当はツーツーの仲じゃないといけないのに、震災前はお互い顔を見ることもなく、モノとお金のやりとりさえあればよかった。ところが震災が起きて、俺たちには“風評被害”という共通の敵ができた。強力な敵を倒すためにスムーズにタッグを組めたんだな。俺の畑にお客さんを連れて来て、萩さんにその場で料理をしてもらうとか、二人でいろんなイベントをやりまくった。それが好評になり、どんどん依頼が舞い込んできた。とても俺たちだけでは体が足りない。そこで萩さんには料理人仲間を、俺は生産者仲間を集めて、福島の料理人と生産者の団体「F’s kitchen」を立ち上げた。福島県じゅうで料理人と生産者のコラボレーションが生まれ、広がっていった。
*現在は復活した福島の食材を伝えるため、1日10組の営業に変更。

萩春朋シェフと(写真提供:Hagiフランス料理店)

——風評被害はどう変化したのでしょうか?

結果として、俺の場合は「風評被害」と呼ばれていた時期はすごく短かった。SNSで発信したりシェフとコラボしたりて何が変わったかと言うと、付き合う人が変わった。人は「カネ、モノ、想い」でつながると思うんだけど、震災前はビジネスのつながりしかなかった。つまり、カネとモノのつながりだけ。震災で「カネ、モノ、想い」の優先順位が変わったように思う。個人のお客さんにしても、料理人、スーパーのバイヤーにしても、“想い”を一番大事にする人たちと付き合えるようになった。それはきっと、俺自身の優先順位が変わったから。今でもこの順番が変わらない人たちと付き合っていたら、まだ風評被害に苦しんでいたかもしれない。

想いを大事にしてコミュニケーションを重ねていくと、自然にコミュニティが生まれた。せっかく生まれたその関係性を、「ただのお客さん」で終わらせるのはもったいないから、俺はみんなを「親戚」だと思って接することにした。親戚っていい言葉で、しょっちゅう会うような近い親戚もいれば、年に一回会うか会わないかの遠い親戚もいる。それぞれが居心地のいい関係を選べるんだよね。

——風評被害を克服したと思ったら2019年には水害の被害に……

2019年10月、台風19号の影響で福島県は記録的な大雨に見舞われました。いわき市では俺の畑のすぐそばにある夏井川が堤防を破壊して氾濫。畑では植えたばかりの冬野菜の苗が泥をかぶって全滅、川から2kmほど離れた家も80cmぐらい床上浸水、断水が2週間も続きました。

このとき、“親戚”がすごく助けてくれた。のべ200人ぐらいがボランティアに来てくれて、全国から救援物資が届いた。毎日のように届くもんだから運送会社の人も笑ってたな。うちがハブになって周りの家に手分けして手伝いに行ってもらって、救援物資も配って歩いた。県外から来てくれる人にはメシ問題があった。せっかく来てくれるから何か食べさせたいな、と……。そうしたら「俺たちは手伝いに行けないけどボランティアの人と一緒に食べてくれ」って東北じゅうの農家・漁師からコメや酒、牛肉、ホタテなんかが届いた。みんな震災後に知り合った人たちだった。トラックいっぱいに飲料水を積んで運んできてくれた漁師もいた。その食材を使っていわきの料理人が炊き出しを作ってくれた。だから手伝いに来た人はみんなおいしいものいっぱい食って帰ったはずだよ(笑)。

唯一、「長兵衛」という里芋だけが水を被っても生き延びた。この芋はうちで代々受け継がれている品種で、じいちゃんの名前をつけたんだ。水害の後、応援したいって言う人が長兵衛をバーっと買ってくれて……、嬉しかったなぁ。里芋のおかげでなんとか年を越せた。そうやって野菜にも助けられて、人にも助けられて……。だから自分がやれることはやんないとバチ当たんじゃねぇかなっていつも思ってる。都会の人と地方の人がつながってると、有事ときに支え合える。そのためには平時からの付き合いが大事だ。平時から人の心をつかまえておくには?やっぱり胃袋つかむしかないでしょ!

氾濫した夏井川の現在の様子

——水害の翌年にはコロナが……。ファーム白石への影響はどうでしたか?

コロナ前は飲食店への販売が売り上げ全体の40%を占めてたから、数字だけを見るとヤバイよね。でも俺はそんなに大変じゃなかった。なぜって、俺には野菜があったから。震災後は出荷規制、水害では水没。ピンチの時に初めて、手元に野菜があった!だから、コロナは全然余裕だよ(笑)!

確かに飲食店からの注文は減ったけど、畑にある野菜は絶対に無駄にできない。個人のお客さんに知ってもらうためにSNSでバンバンライブ配信をした。今ではインスタグラムのダイレクトメールで注文もらうことが多い。俺も消費者も県外に出られないから、地元でもっとできることないかなって考えた。それで始めたのがトラックマルシェ。会社の中で注文をまとめてもらって、2週間に一回オフィスに野菜を届けに行く。いわき市内だから俺が配達に回れるし、受け取る人も送料がかからなくてお得でしょ。自分の野菜が中心だけど、「いわき野菜」として他の農家の野菜も一緒にPRして売ってる。周りの農家はみんな高齢で、俺と同じことをできるわけじゃないし、農家は売れるところさえあれば作れるんだから。作ること、それが売れることは彼らの生きがいでもあるしね。

コロナ禍になって、地元で売れる量がいきなり増えた。震災の時に強烈に感じた「地元の人にこそ地元のものを食べてほしい」っていう願いがコロナを契機にして叶い始めた。他にも、いわきの料理人と一緒にオンライン料理教室をやったり、地元の飲食店をPRするローカルラジオに出たり、友達の豚まん屋を手伝ったり、楽しいこと探して面白おかしくやってるよ。

雑草の絨毯の上に葉を広げるキャベツ

——震災からもうすぐ11年。改めて振り返って白石さんにとって震災、原発事故とは?

震災は大きな勉強会だった。いろんな人との出会いが何より勉強になった。その途中に水害があってさらにパワーアップして、乗り越えたと思ったらコロナで、またパワーアップする。ドラゴンボールのフリーザ*みたいだな……。全部の経験がつながって今に活きている。でも確実に言えるのは、俺も毎年歳を取るってこと。やれることや残りの時間が限られてきちゃう。だからこれからは若手をどんどん育てていきたい。“育てる”という言葉もおかしいかな。野菜と一緒で、外に出しておけば勝手に学んで、育つもんだから。

俺のところはこれまでに5人の農業研修生を受け入れてきて、それぞれ1〜2年うちで学んで農家として独立していった。研修生には、「お前らがちゃんと作れるようになったら、その野菜は任せる。俺はその野菜は作らなくなるから」って言ってある。うちから出た子がネギ専門農家になったから、うちはネギを作るのはやめてその子から買ってる。流通は任せろ!って。

*「ドラゴンボール」の主人公・孫悟空の宿敵。変身するたびにパワーアップしていく宇宙人で、現在は第5形態の「ゴールデンフリーザ」まで登場している。

——来年、2023年には福島原発は処理水を放出する方針を決めました。また福島県産の風評被害が出るのではないかと心配する声もありますがどうでしょうか?

風評被害が起きたとしても、解決策がある。震災後、積み重ねてきたノウハウを全開にしてやっていきたい。処理水を出すのは海だから「農家は関係ない」ではない。山、里、海はつながってる。まさに今、海を見て、畑を見て、うちの畑で海産物と農産物を一緒に食べるようなツアーを考えているところ。こないだここで予行演習したところだよ。

これまで知り合ってきた人たちの力を結集して、発揮する。それも今までと同じやり方じゃつまらないから、また違うスタイルでやってみたい。そのときに俺がめっちゃスマートになってたら面白くない?そう思って体を絞ってるの(笑)。震災後は「赤いツナギ」がトレードマークだったけど、今度は「スーツ」にするつもり。もうそのスーツは用意してあっから。

——スーツは……赤黒ですか?

そう。もうそこに照準を合わせてやってる。
俺、アホでしょ(笑)。でも、人間は前に歩いた方が楽だから。後ろ向きに歩くと本当にエネルギー使うよ。俺、今ジムでやってるからわかるんだけど……、後ろ歩きって本当にやばいぐらいエネルギー使うんだよ!
…………………………………
日暮れの畑に明るい笑い声が響く。理屈抜きに、赤黒の特注スーツを身にまとった農家に会いに来たいと思った。また、ここに。

(インタビュー・文・写真:成影沙紀)

白石長利
「ファーム白石」代表。
1981年福島県いわき市生まれ。
八代目の農家。
冬野菜を中心に、様々な野菜を自然農法で栽培している。

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