羊と来た11年~「アニマルフォレストうつしの森」代表 吉田睦美さんインタビュー~

よみもの

実際の羊の鳴き声は「メェー」よりも「ンメェー」に近い。耳馴染みのないタイヤ音に警戒してか、「ンメェ〜〜!」の大合唱に出迎えられた。干し草が敷き詰められた畜舎に入ると、大人たちはモコモコの身体を寄せ合ってギュウギュウになりながらこちらを見ている。しばらくすると好奇心旺盛な子羊たちが、愛らしいピンク色の鼻をひくつかせながらカメラに突進してきた。ここは福島県田村市の森の中にある羊の牧場、「アニマルフォレストうつしの森」。代表の吉田睦美さん(34)に、福島と羊の歴史や、原発事故後の生きものの様子についてお話しいただいた。

——福島県って羊の産地なんですか?

実は福島県は羊が盛んで、昭和32年には北海道に次いで全国2位、約10万頭を飼育していました。でもその後、羊の輸入自由化や化学繊維の登場で全国的に羊の数は激減します。昭和50年には福島県の飼養頭数は870頭まで減りました。その後も右肩下がりでずーっと減ってはいたんですが、震災前の2010年時点でも全国3位をキープしていました。羊のセリを行う、国内唯一の「羊・ヤギ専門の家畜市場」もあったんですよ。

私の義理のお父さんも、川内(かわうち)村で趣味で羊を飼っていたんです。福島県では、羊の大きさや形を競う品評会が開かれていて、お義父さんも熱心に出品していました。定年退職したのに、「良い羊を育てるためには良い餌が必要だー」って再就職したりして(笑)。オスは毎年一等賞をもらっていたんですが、メスがなかなか取れなくて。どうしてもトロフィーが欲しくて頑張って、ようやく取れたのが2010年でした。

吉田さんは多種多様な羊を飼っている

——吉田さんご自身は震災前から羊を育てていたんですか?

いや、私はまったく違う仕事をしていました。震災当時は浪江町に住んでいて、隣の富岡町のコンビニで働いていました。3月11日の地震の後も職場に行きました。テレビもネットも使えないから地震の規模や津波のことを知らなかったんです。夜勤の日だったのですが、ぐちゃぐちゃになった店内を片付けながら夜を明かしました。翌朝4時半ごろになって、店の前に大型バスが止まって、防護服を着てマスクをつけた全身真っ白の人が降りてきました。「放射能が漏れているので逃げてください」と言われて。当然、私たちはフツーの格好をしていました。川内村の夫の実家に逃げて、そこで初めてテレビを見ました。しばらくすると「ここも危ないので避難してください」ということになりました。避難指示が20km圏内まで広がったんです。さらに遠くへ、長期間避難することになるんだなと察して、向かったのは浪江の家でした。家に2匹の愛犬を残してきたんです。あのときはすごい混乱状態にあったので、規制をかいくぐって戻ることができました。地震で割れた道路を無理やり行ったりして、無事に2匹を連れ出しました。1匹は2012年に亡くなりましたが、もう1匹はまだ健在ですよ。

その後、1か月ほどは自由に20km圏内に入ることができました。厚生労働省の許可が下りて、ペットは連れ出して良いことになったのですが、迎えに行った人は決して多くはなかったです。高齢で行きたくても行けないなど事情がある人もいたんですが、そうではなく、「お家に置いてきちゃったんだ、いらないからね」という人もたくさんいて……。こういう人は変えられないから、避難所や仮設住宅に連れてきてちゃんと面倒を見ている人たちのサポートをしたいと思いました。

私は避難所から郡山市の仮設住宅に移っていました。パソコンが使えたので、仮設で暮らすペットの現状をブログで伝えて寄付を募りました。全国から集まった支援物資を周りの飼い主さんたちに配り、またブログで報告する……。そんな活動を始めました。

——お義父さんの羊はどうなったのでしょうか?

4月22日には20km圏内が「警戒区域」に指定され、自由な出入りができなくなりました。羊は川内村に残ったままになってしまったんです。以降は「公益立ち入り」といって、ひと月に1回、法人は会社の機械や書類を持ち出すために20km圏内の立ち入りが許されました。幸い、夫が建設会社を経営していたので、「公益立ち入り」の名目で入って羊たちに餌をやっていました。ブログでこの活動を発信すると、羊たちの餌も全国から支援していただくようになりました。こうして2011年7月、動物保護のための任意団体「アニマルフォレスト」を立ち上げました。仮設住宅のペットの支援と川内村の羊たちの飼育が主な活動です。

——7月って震災直後ですよね。ご自身も大変だったのに、なぜ生きものたちのために動けたんでしょうか?

“大変”っていう感覚もなかったですね。とにかく必死でした。「明日、どうしようかな」って憂う余裕もなかった。「動物たちのために!」と志してやっていたわけではなくて、困ってる生きものが目の前にいて、自分にはできることがある、だから動く。言語化できないぐらい当たり前のことでした。

ロマノフ種の子羊

——20km圏内に残された生きものたちは、どんな様子だったのでしょうか?

公益立ち入りで毎月行っていたので、いろんな動物を目にしました。ペットは……犬は鎖につながれたまま死んでいるものが多かったです。猫は脱走して、結構しぶとく頑張ってました。

ペットとは違い、家畜は20km圏外に出すことが禁止されていました。被曝した家畜の肉や牛乳が食品として流通することを防ぐためです。乳牛はスタンチョン(つなぎ止め具)につながれたまま餓死しているものがほとんどでした。肉牛は柵を外して放す人が多かったようでした。単価が高いので、生きていればいつか使えるかもしれないという考えだったのかもしれません。鶏は「放す」という概念もなかったのか、ケージの中で大量に餓死していました。5月になって、「家畜の所有者が希望する場合は安楽殺をする」という国の方針が決まりました。

当時、20km圏内に残った家畜には餓死や安楽殺の他に、「低線量被曝調査」という道が残されていました。20km圏内に牧場を作って飼い、肉や内臓の放射線量を測るという計画です。チェルノブイリでは事故後、こうした調査は行われていなかったので、世界的に役立つデータが取れるという話でした。私もそのつもりで動いていたのですが、「羊やヤギは個体数が少ないからやらない」ということになってしまった。安楽殺をしたくないという人たちが、せめて家畜の使命を果たせるようにと望んでいた道だったんですが……。川内村で羊を飼い続けていると、20km圏内の方から「うちのヤギを助けて」など声がかかるようになり、だんだん頭数が増えていきました。お義父さんの羊5頭、ヤギ3頭から始まり、一番多いときで24頭まで増えました。

——でもその羊はどうすることもできない……?

そうです。肉にすることも、20km圏外に出すこともできません。何にもならないけど寿命まで飼うことにしたんです。「ざっと10年はかかるだろう」と思いました。彼らは“家畜”であり、と畜して人間が使うことが前提の生きものなので、「天寿をまっとうさせることが正しいことなのか?」と何度も自問自答しました。今でも答えは出ませんが、彼らは「放射性物質をかぶったと“みなされた”家畜」です。実際には測ったこともない。ろくにデータも取らず、人間の勝手で「危険だから殺す」というのは違うんじゃないか。生かしておくことは、家畜の“本来の使い方じゃないやり方”で殺される(安楽殺)よりはマシなんじゃないか……と考えています。

2011年11月に、お義父さんは羊たちを残してガンで亡くなりました。治る見込みがあった時は「羊をなんとか保ってくれ」と言っていましたが、見込みが薄くなっていくと、「羊はいいから、お前の足かせにならないようにやりなさい。殺してもいい」と言うようになりました。私を気遣ってのことでしたが、「そういうことじゃないんだよな」と……。うまく言えないのですが、飼い主であるお義父さんの意志を叶えるためというよりは、原発事故に対する反骨精神で続けていたような気がします。

サウスダウン種の母羊

——川内村の牧場とは別に、ここ、田村市に羊の牧場を開いたのはなぜですか?

震災前、福島県には羊がたくさんいました。それが震災ですごい勢いで羊が減って、羊文化が消えそうになっていた。羊・ヤギ専門の家畜市場も2011年から「中止」が続き、実質「廃止」状態です。市場の復活も要請しましたが、鼻であしらわれてしまいました。

農地は除染しましたが、山は除染ができないので、現在でもイノシシや鹿といったジビエ、山菜、キノコなど山に近い野生のものほど復活できていません。でも羊は野生じゃないので、福島県から羊が消えたら人間のせいです。「それで果たして“復興”って言えるのか?福島の羊文化を復活させたい!」そんな熱い想いがありました。

2016年、仮設住宅を出て三春町に移り住みました。周辺で牧場用地を探しましたが全然ダメ。それが偶然、隣町の田村市船引町移(うつし)という地域で見つかったんです。行ってみると、川内村と似た山あいの美しい場所でした。川内村の牧場と並行して運営し、田村市の方は「アニマルフォレストうつしの森」としてオープンさせました。名前は語感で決めました。「“森”被ってるじゃん!」って言われますね(笑)。北海道から5頭の羊を導入してスタートしました。

——川内村の牧場で、最後の一頭を見送ったのはいつですか?

2019年の2月です。9年かかりました。最後までその子たちは20km圏外には出せませんでした。見送った時は「ああ終わったんだな」という気持ちで、燃え尽きましたね……。始めるときは本当にやれるか不安だったし、途中は何度も辞めたいなと思いました。ほとんど一人でやっていましたし、20km圏内に通って作業をするので自分の身体のことも不安でした。事故後、安定ヨウ素剤も手に入らなかったし……。でも結局、なんともなかったですね。

羊たちも、放射能の影響でバタバタ死んでしまうっていうことはなく、みんなフツーに生きてました。生まれる子羊たちも、奇形が生まれるんじゃないかなんて心配されましたがそんなこともなく、健康ー!って感じで。

たった2時間前に生まれたばかりの赤ちゃん

——私も今回、お肉をいただきました。臭みがなくて、柔らかくてみずみずしかったです!ご自身で初めて召し上がった時はどうでした?

一昨年までは売るばっかりで全然自分の口に入らなくて(笑)、ようやく昨年食べたんです。いや〜!うまかったですね!スーパーにある羊肉と全然違うな!と。

お肉の匂いは餌で決まるんです。生の牧草を食べていると臭くなるので、うちでは干し草を与えています。青草にはタンパク質が豊富に含まれているのですが、このタンパク質を分解することによって生じるフェノールやインドールといった物質が匂いの元になります。他の家畜に比べて羊はこれを肉に添加しやすいようです。ニュージーランドやオーストラリアでは放牧メインなのでどうしてもこの匂いがつくんです。

柔らかさは月齢によります。1歳未満のものはラム、2歳以上のものはマトンと呼ばれます。柔らかいものがよければラムをお勧めしますね。ただ、歳を重ねていくとうま味や風味が強くなるので、味が濃いのはマトンなんです。

みずみずしいのは、と畜してから一度も冷凍させず、生で発送しているからです。うちは全てネットで販売しているんですが、ネット通販を見回すと生のまま羊肉を販売しているところはほとんどありませんでした。「これはチャンスだな!」と。お客さんはリピーターさんばかりですね。と畜した日に予約を開始するという、生々しいことをやってるんですが(笑)、予約の段階で売り切れになります。

吉田さんの”生”ラム肉

——今、目指していることは?

めちゃくちゃ正直に言っていいですか?「羊で食っていきたい!」ってことです(笑)。全国でも、羊だけで生計を立てている牧場は数件しかないそうですが、中でも福島県では採算を合わせることが不可能になりました。初めはもちろん「福島のために!」という使命感に燃えていたんですが、あちらの道もこちらの道も絶たれすぎて、まず自分たちが食っていかなきゃいけないなと思ってます。

2018年と2019年に岩手県と福島県で農水省による羊の放牧の実証実験が行われました。放牧して青草を食べさせ、肉から放射性物質が検出されるかを調べたんです。ND(検出限界以下)なら放牧の規制も緩和されたんですが、残念なことに基準値を超える数字が出てしまった。震災以降ずっとそうでしたが、これからも福島県では羊の放牧が禁止となりました。消化管吸収率や乳量の違いから、羊は他の家畜に比べて放射性物質を肉に移行させる割合が高いためです。私は「生きものは生きものらしく自由に行動ができるように」ということを大事にしたくて、羊はここで放牧する予定だったんですが……。決着がついてしまいました。

また、福島県では餌の規制もかかったままです。羊・ヤギに関しては、輸入牧草“のみ”給与を許可されています。つまり、国産の干し草は線量が基準値以下でも与えることができません。牛や豚など他の家畜に比べて、羊は放射性物質が肉に移行しやすいという背景もありますが、そもそも国内で羊肉の流通量が少ないので、原発事故後の餌についてのルールが整っていないのが現状です。「とにかく禁止」というスタンスのようです。うちも輸入牧草を与えていますが、最近価格が急騰しています。さらに、安定供給もままならず、「ひと月入ってこないからね」なんてこともよくあります。例えば子牛なら1頭80万円で売れますが、羊は1頭6万円ほど。餌を自給できなくてはとても採算が合わないんです。

その上、羊はと畜できる数にも上限があります。もちろん、牛や豚は県の一大産業ですから上限なく処理してくれますが、羊は年間96頭まで。その枠を他の農家さんと分け合ってるので全然足りません。羊の頭数を増やして肉の出荷量を増やすという道も絶たれてしまいました。

給餌しているアメリカ産の干し草

——八方塞がりですね……。

そうなんです。だから、昨年から北海道にも土地を買いました。初夏になったら羊を移動させて北海道で放牧するんです。広大な農地で栽培した牧草を干し草にして与えるので、餌のコストも下げられる。そして秋にはこちらに戻してと畜、出産シーズンを迎える。北海道まで羊を運ぶコストを加味しても、この飼育方法に軍配が上がります。

今年からは、羊の乳で作るアイスやヨーグルトも販売予定です。羊のミルクって1日200mlしか出ないし、お乳が出る期間も1か月ほどと短いので、とても貴重です!牛乳とはまた違った味わいなんですよ。お肉を使ったハムなどの加工品も開発予定です。

——改めて、吉田さんにとって、生きものの魅力ってなんでしょうか?

なんでしょうねー。羊って表情豊かじゃないですか?怒られたらむくれてプイってそっぽ向いたり(笑)。見てると楽しいんですよね。ペットの保護活動をしている中でもそういう楽しさがありました。

仮設住宅にいたとき、周りにはペットを連れ戻せなくて落ち込んでいる人や、あれだけ大変なことがあったので、アルコール中毒になったりしてひどい精神状態の人もたくさんいました。生きものがいると、「餌やんなきゃ!掃除しなきゃ!」と日々やるべきことがある。そうじゃないと私はどこまでもぐうたらしちゃうので(笑)。彼らがいるから前向きな気持ちでいられたんだと思います。

牧場を経営する吉田さんご夫婦

——最後に。人間と生きものの関わりの中で、原発事故後は特に人間の汚いところが露呈したのかもしれません。そんな関わりをたくさん見てきて、今、吉田さんが思う人間と生きものの関わりってどうでしょうか。

日本の中では、家畜に対しても、ペットに対しても関わり方がゆがんでいることがいっぱいあります。人間が、さも他の生きものの支配者のように振る舞っていますが、そうじゃなくて、あくまで立場はフラットなはずです。ずーっと深めていくと、アイヌ民族のような考え方に行き着きます。「私たちも自然の一部で、生きものたちも自然の一部」。そこまで人間が降りていかないと、100年先も動物に対する問題はなくならないと思います。
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足元に群がってきた子羊をひょいと抱き上げる。「この子はミホちゃんです。羊は基本的にお母さんが子育てをするんですが、育児放棄された子は人工哺乳します。ミホちゃんは体に他のお母さんの匂いがついたから育ててもらえない。あの子はお母さんがとーっても丁寧に子育てするんですけど、乳が出ない!」と、困ったように笑う。生きものへの愛情を抱きながら、その世界の厳しさを直視している。彼女の言動一つひとつからは、そんな深く冷静な生きものへの関わりを感じた。

(インタビュー・文・写真:成影沙紀)

吉田睦美
「アニマルフォレストうつしの森」代表。
1987年福島県浪江町生まれ。
震災後、福島県川内村で義父の羊・ヤギを飼育することから羊飼いに。
羊肉の購入は公式HPまたはポケットマルシェ、食べチョクで「吉田睦美」と検索してください。

<アニマルフォレストうつしの森HP>
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