福島県南相馬市小高区。
阿武隈山系からの豊かな水が流れ込み、古くから稲作が盛んな地域だ。
この地で代々続く米農家「根本有機農園」。
現在その米づくりの中心を担っているのが、根本剛実さんである。
市役所職員として働きながら家業である農業を手伝ってきた根本さんは、4年前に早期退職し、本格的に米づくりへと身を投じた。今まで米作りの中心は専業で農業をしていた剛実さんの父・根本洸一さんであったが、剛実さん自身の手で代々の田んぼを継いでいくための決断だった。
洸一さんは震災後避難地域となった小高区でいち早く田んぼを再開したこともあり、この南相馬エリアでは名の知れた米職人だ。地元の米として地域の酒蔵に酒米を納め始めたのも光一さんだ。
そんな光一さんを手伝いながら一連の米作りは知っていたものの、種まきから収穫までを剛実さんの手で一貫して栽培を担うようになったのはつい最近のことだという。
「本格的に自分が主導で全部やったのは実は去年が初めてなんです。4年目にして、ようやく独り立ちかなという感じですね。」
長く続く有機農家の歴史と、自身の試行錯誤。その両方を背負いながら、根本さんの米づくりは続いている。
農家に生まれたということ──「自然な選択の一つとしての農業」
ー まず、剛実さんが米作りをするようになった経緯を教えてください。
「うちは代々米農家なので、子どものころから農業は身近でした。大学も農業系の学校に行きましたし、長期休みには家に帰って田んぼを手伝うことが当たり前。やがては自分もやるんだろうなという気持ちがありました。
ただ最初から農業一本というわけではなくて、昔は兼業農家が多かったので、教員になろうと考えた時期もあります。それで結局地元南相馬の役所に勤めながら、家業を手伝うようになりました。
そんな中、4年前に早期退職して完全に農業一本でやっていくことを決めました。父ももう良い年齢なので、父が培ってきた田んぼに関する知識やノウハウを早く学んで自分で田んぼができるようになりたかった。
家族には定年まで働けば良いのにと言われましたが。笑
昔は今みたいに機械が発達していなくて、田植えや稲刈り、稲架掛け(刈った稲を乾かす作業)まで全部手作業でそれは大変だった。人手がないと農業は成り立たなかったんですね。今は機械化が進んで作業自体はずいぶん楽になりました。それこそ繁忙期以外の作業は私一人でも良いくらいです。
ただ、今でも種まきや田植えなどの時期には地元の人などに手伝ってもらったりして大勢でワイワイ作業します。形は変わりましたが、それでも農業の面白さというのは変わらないと思ってますね。」
芽が出る瞬間に感じる農業の喜び

ー 剛実さんが専業になって改めて感じる、米作りの楽しさはなんですか。
「一番はやっぱり種をまいて芽が出る瞬間ですね。収穫の喜びもありますが、私にとっては芽が出たときが一番感動します。ものづくりというのはやはり面白い。
米だけじゃなくてトマトやキュウリなど夏野菜も作っていますが、芽が出ると“ああ成功したな”と思うんですよ。そこまでいけば、あとは育てていくだけですから。もちろん日々の手入れも大事ですが、芽が出るか出ないかはハッキリ目に見えた結果になるので。
農業は一年に一回収穫の時にしか結果が出ません。失敗しても、次の年にどうするか考えてまた挑戦する。その繰り返しです。
毎年同じことをやっているようでいて、天候も条件も違いますから、必ず何かしら新しい発見があります。それも農業の面白さだの一つだと思います。」
米農家を継ぐということ──「代々引き継いだ土地と家業を途切れさせない」

ー 洸一さんから引き継いで米作りをするようになって、大変なことはありますか。
「市役所を退職して本格的に農業をやるようになったのは4年前ですが、種まきから収穫まで全部自分でやったのは令和7年が初めてです。
それまでは農繁期の手伝いが中心でしたから、実際に一から全部やると、改めて大変さを感じましたね。農業は一年の流れを全部見ていないと分からないことが多いんです。どのタイミングで何をやるのか、どう管理するのか。年間計画を考えながら全ての作業を逆算しないといけない。そこに苗の生育具合や天候、収穫の時期などが関係してくる。父が長年やってきたことの意味が、実際に自分でやってみて初めて分かる部分が多いですね。
大変な時ももちろんありますが、気持ちとしてはやっぱり代々この土地、この田んぼで続いてきた農家なので、家の農業を途切れさせないという気持ちはあります。震災の避難なども乗り越えて父と繋いできたものなので、そこは大事にしたい。
もちろん昔と同じ形で続けるというよりも、自分なりに工夫しながら続けていくことも大事だと思っています。IT化などもさまざまな制度を活用して取り入れられることは積極的に取り入れています。一昨年から田植え機の自動運転を導入したりして、義理の息子にも手伝ってもらっています。笑
一方で、父が残してくれている知識の積み重ねが、この土地の田んぼでお米を作っていく上で一番の基礎になるものだと思っています。父がずっとつけていた農業日記なんかを紐解いて新たに記録に残して、今は自分で日々の作業の記録をつけながら毎年改善点を考えたりしています。農業は経験の積み重ねですから、今からは父の積み重ねの上に少しずつ自分のやり方を積んでいければと思っています。」
有機米という選択──「おいしさと安全性、孫に食べさせたいと言われる米へ」

ー なぜ有機米にこだわって米作りをされているのですか?
「“有機”という言葉は、有機JASという国の認証を受けた生産者だけが使えるんです。農薬や化学肥料を2年以上使っていない田んぼで栽培して、毎年審査を受けて初めて有機米として販売できます。ただの無農薬ではなくて、肥料やその原材料までさまざまな基準を満たしているものを使うことで認められる。
うちで作っているお米の品種はコシヒカリや天のつぶのほかに、酒米の雄町や愛国なども栽培していて、全部で7.2ヘクタールくらいになります。
有機栽培は、収量も少なくなりますし、手間もかかります。一番は雑草との戦いですね。さまざまな工夫をしていますが、除草剤を使わないので草はどうしても生えますし、収量も一般的な農法に比べて6割くらいになることもあります。
それでも続けているのは、やっぱり“おいしさ”と“安全性”を大事にしたいからです。
味の面で言うと、米ぬかや大豆を肥料にすると微生物が活発になって、窒素の吸収が穏やかになります。そうするとタンパク質が過剰にならず、うま味と粘りのある米になる。
また安全面では、ふるさと納税で買っていただいた方に理由を聞くと“生産者がこだわって作っているから安心して食べられる”という声をいただくことも多いですね。友人から“孫が生まれたから安全なお米を食べさせたい”と言われて定期的に買ってもらったりもしています。
でも農家として一番嬉しいのは、やっぱり“おいしい”と言って食べてもらえることですね。うちのお米を食べた方に“こんな美味しい米は初めて食べた”と言われると、本当にやっていて良かったなと思います。」
米農家として続けていく理由──「小高の風景と新たなつながり」

ー 小高で米作りをされる中で、地域とのつながりはありますか?
「農業は地域と切り離せないと思っています。昔は田んぼの管理や側溝の掃除、草刈りなどを地域のみんなでやっていました。震災後は人口が減りましたが、今でも市道や県道、河川の草刈りを地域の人たちと年6回ほどやっています。
効率だけを考えると大規模な農業をやっていくべくきなのかもしれませんが、本来農業は地域の人たちと支え合いながら続けていくものだと思っていますし、有機にこだわっている以上自分の目と手の届く範囲でやっていくことが重要だと思います。
また、今は農家だけでなくいろんな酒蔵さんたちとの繋がりがあることも励みになっています。仁井田本家さんから誘っていただいて作り始めた酒米が、今は小高でクラフトサケを造っているhaccobaさんやぷくぷく醸造さんなどの若い方々に使っていただいていると思うと、新しい地域とのつながりを実感します。私自身お酒が好きなので、お酒のラベルに“原材料:根本有機農園”と書いてもらったときは本当に嬉しかったですね。笑
彼らとはただの取引先という関係ではなく、地域の行事などにも積極的に参加してくれるので、震災後に途絶えてしまうかも知れないと思っていた地域ごとに新しい関わりが生まれ、その関わりづくりに少しでも携われていることも、これから私が有機米をこの場所で作っていく意味の一つになるかも知れません。」

小高の田んぼで育つ一粒の米。
そこには、さまざまな困難を乗り越え代々引き継がれてきた土地の力と、人の想いが静かに息づいている。
剛実さんの米づくりは、単なる農業ではない。
地域の風景や人のつながりを守りながら、次の世代へと受け継がれていく営みでもある。「有機」という農法そのものに、長くこの土地でお米づくりを続けていく意思が込められていると感じた。
毎年同じようにお米を作るといことは、さまざまな変化の中でそれを受け入れ、乗り越え、引き継ぎ、それが毎年変わらないように作っていくということだ。
根本有機農園でできるお米が美味しいのは、一年間の成果ではなく、それまでこの土地と人がつないできた長い歴史をその一粒に含んでいるから。
今年もまた、田んぼにいつもと変わらない様子で芽吹く小さな緑が新しい一年の始まりを告げていく。
(取材・文:小波津龍平/一部写真提供:根本有機農園)

