福島県南相馬市小高区。
2011年の震災と原発事故以降、この地域は長く「特別な文脈」とともに語られてきた。
被災地、復興、課題先進地域。そうした言葉は重要である一方で、この土地に流れている時間の質や、暮らしの手触りを、どこか遠ざけてしまった側面もある。
そんな浜通りで、過剰なメッセージや大きな旗を掲げることなく、
淡々と酒をつくり続けているのが、ぷくぷく醸造 代表・立川哲之さんだ。
ぷくぷく醸造とは?──「感覚から始まる酒造り」
ー まず初めに、ぷくぷく醸造とはどんな酒蔵で立川さんはどんな人なのでしょうか。
立川哲之(以下立川さん)
ぷくぷく醸造は福島県南相馬市小高区にある酒蔵で、醸造所とそこで造ったお酒を楽しんでいただける角打ちが一緒になった酒蔵です。
僕自身はそこの代表で、肩書き的な職業でいうと「醸造家」ということになりますかね。“発酵”を扱う人です。
造っているお酒は一般的な日本酒ではなく、昔から伝統的に日本にあった製法から着想を得た“クラフトサケ”を造っています。
日本酒をベースにしながら、どぶろくをつくったり、ホップを使った酒を仕込んだり。
その時々で「今、これが面白い」「今、これをつくりたい」という感覚を大事にしてきました。
だから、商品ラインナップありきというより、人や土地との出会いが先にあって、
酒はそれに応答するように生まれてきた、という感覚が近いですね。
後から見れば一貫性があるように見えるかもしれませんが、
実際には、日々試行錯誤の積み重ねでお酒を造っています。
酒との出会い──陸前高田で知った「美味しいお酒」
ー 立川さんが酒に強く惹かれた原体験について教えてください。
立川さん
学生のとき、岩手県の陸前高田にボランティアで行ったんです。ボランティアで行ったはずなんですけど、1日の終わりに酒盛りがあるんです。
そこで地元のおじさんたちと一緒に飲んだ日本酒が、今でも強く印象に残っていて。
味だけで言えば、特別に高級な酒だったわけではないと思います。
味ももちろん美味しかったんですけど、地元の方々が地酒を誇っているのが印象的で。
日本酒って、液体としての味だけじゃなくて、地域の誇りやアイデンティティみたいなものが詰められているんだなと。時間や関係性、場の記憶も一緒に飲むものなんだなと、そのとき初めて腑に落ちました。
この感覚は、その後の酒造りの根底にずっとあります。
「東北を知ってもらう」から始まった、酒と場の実験

ー その後、お酒を軸にした活動を始めた背景は?
立川さん
東北の復興ボランティアを続ける中で、
周りの友人たちが東北に対して距離を感じているのが、ずっと気になっていました。
「興味はあるけど遠い」とか「行くのが大変そう」。
その心理的ハードルを下げるにはどうしたらいいか。
考えた結果、一番シンプルだったのが、食と酒を入口にすることでした。僕自身農学系の学科だったので、東北の一次産業に興味もありましたね。
それで立ち上げたイベントが「食と酒 東北祭り」です。東北から生産者さんや団体に参加してもらって、つくばの駅前でお客さんに楽しんでもらうイベントです。
これはちょっとした自慢なんですが、学生20人ほどの運営チームで始め、初回は2日間で4000人、2年目には運営メンバーも50人くらいになって1万人ほどが集まるイベントになりました。
その後もこのイベントは引き継がれて10年くらいは続きましたね。最終的には復興とかそういう文脈関係なく、このイベントを楽しみにして毎年きてくれるような人も増えて、純粋に東北の食に興味ある人が集まってくるようなイベントになっていきました。
酒屋志望から醸造家へ──「つくる側」に回った理由

ー そんな中でどこから醸造家を目指すことになっていったんですか?
立川さん
東北には何かしらずっと関わっていきたいと思っていました。ただ、ずっとボランティアだけをするわけにもいかないし、イベントの主催なんかもあくまで手段と思っていたので、イベント屋さんのようなものも特に目指そうとは思わなかった。一次産業も応援はしていましたが、やはり自分ではじめるには少しハードルが高く感じていました。
そんな中、新卒で食品関係の研究開発企業にご縁があって就職しました。若くて勢いのあるベンチャー企業で、社会課題の解決に取り組んでみようと。
ただ、東京で働きながらも日本酒はずっと好きだったっていうのもあるし、日本酒の酒蔵さんが減っていっているということも危機感を感じていました。日本酒業界に対する熱がどんどん自分の中で高まってしまい、会社には「自分で酒販店をやる」と言って2年弱くらいで辞めてしまいました。地方の隠れた銘酒を発掘して販売するような酒屋さんをやりたいと。
そんな中で、全国の酒屋さんを巡る旅に出ようと考えました。
全国の酒蔵を回って、良い酒をきちんと伝えて売る酒屋をやりたい。
それに加えて「酒屋をやるにも酒造りを知っておきたいな」と思って、宮城の佐々木酒造店というところで旅の合間に修行させてもらうことにしたんです。
最初は2ヶ月だけの予定でした。
日本酒の造りの作業って大体2ヶ月くらいで、米洗いから瓶詰めまで終わるんです。なので一本の日本酒ができる流れがわかればいいかな、なんて思っていました。
と思っていたのですが、結果的に3シーズンいました。笑
夏は全国の酒蔵を旅して、冬場の酒造りのシーズンになったらまた佐々木酒造店に行くような感じで。
この時もまだ全然酒屋になるつもりでした。お酒をずっと造っていくつもりもそこまでなかったです。
ただ、全国の酒蔵や杜氏さんの仕事を見て、お酒造りも手伝っていくうちに、だんだん自分として造りたいお酒が見えてくるようになってきて。「自分はこんなお酒造りたいな」とか。
酒造りの作業にもある程度なれてきたのもあって、だんだん自分で造りたくなってきたんですよね。笑
そんな中で3年目に、佐々木酒造店で自分で一本すべて任せてもらえることになりました。お米の精米歩合とか仕込み配合とか、とにかく全部です。何なら売るのも任せていただきました。
そして、初めて自分で造ったお酒ができたとき、
杜氏のサポートがありつつも原料選びから仕込みまで全部自分で考えたそのお酒が、驚くほどしっくりきた。
そういう流れで、いつの間にかお酒造りの楽しさに完全に目覚めてしまいました。ちなみにそのお酒のレシピが今造っているお酒の土台にもありますね。
まぁ、それからも本当にいろんな出会いとタイミングがあって、福島県の小高でお酒造りをスタートして、ぷくぷく醸造を立ち上げることになりました。ここでお酒造りを始めたのも学生の頃の東北への想いから、「いつかは福島で」と思っていたのですが、こんなに早く実現するとは思っていませんでした。笑
造りたい酒は「2つある」──純米酒とホップドブロク

ー そんな立川さんが「造りたい酒」について、もう少し具体的に教えてください。
立川さん
厳密ではないんですけど、大きく二つあって、
一つは、この地域の「地酒」。
もう一つが、「ホップを使った酒」です。
一つ目の地酒っていうのは、ちゃんと地元に根付く名実ともに「地酒」をつくりたい、ということです。
浜通り産米の純米のお酒で、地元の食と自然に馴染む酒。
派手さや話題性よりも、地元の人に日常的に飲んでもらえる長く続いていくお酒。
例えば南相馬の飲食店さんとかで「南相馬の酒、小高の酒だよね」「浜通りの酒だよね」といってもらえるような、特別な説明なしに言ってもらえる存在を目指しています。
そしてもう一つが、ホップを使ったお酒です。
日本酒の造りにホップを掛け合わせることで、苦味や香り、飲み口に新しいレイヤーが生まれる。
正直、まだまだ極められる余地があると思っています。
そもそも純米酒であっても、ホップどぶろくであっても、「人と同じ味をつくりたい」とはあまり思わないですね。
自分だからこそ出せる味というものを造りたいなっていうのは常にあります。
評価されるということ──「同情ではなく、プロダクトで」

ーお酒の味といえば、 最近大きな賞も受賞されたとお伺いしました。
立川さん
第5回 ICC SAKE AWARDというコンペティションで優勝することができました。70名を超える審査員の方々の前で、僕たちの想いも含めて評価されたのは素直に嬉しいです。
どうしてもこの地域のプロダクトって震災などの文脈から同情票みたいなものを受けがちだと思うんです。それもダメでははないけど、最終的に浜通りの酒が、背景や文脈ではなく、純粋に「美味しい」から選ばれるようになるといいなと思っていて。そういう客観的な評価みたいなものは、なんだかんだ大事だと思っています。
「浜通りの米で世界一美味い酒を造る」っていうのを僕はよく言ってるんですけど、ここで生まれるプロダクトが、ちゃんと外の世界で評価され得るという証明でもあるので、これからも変わらず目指していきたいですね。
世界への挑戦も、いまは香港とシンガポールに輸出しているんですけど、将来的には欧米も視野にいれて進めていきたいと思っています。
酒は、その土地へのリスペクトを経てカルチャーになる

立川さんの酒造りは、特別な物語をつくるためではなく、
この土地で暮らし、働き、飲むという当たり前の営みを続けるためだ。
その当たり前の中に立川さんらしさというエッセンスを加える。
浜通りで酒をつくるという選択。それは立川さんにとって使命でもあるのかもしれない。
しかしその一方で、立川さん自身の興味に駆動された、ひとつの自然な生き方であり、この土地の価値観やそこで力強く暮らす生産者の方々へのリスペクトの延長線上に、酒というカルチャーを静かに根付かせているようにみえた。
「酒造りを一生続けていきますか?」という質問に
「立てるうちは。」
ときっぱり答えた立川さんの言葉と笑顔の端に、若き醸造家の歩んできた道とこれからの未来を見た気がした。
(取材・文:小波津龍平)

