福島県本宮市。阿武隈川の豊かな水と、安達太良山から吹き下ろす風が交わるこの地で、100年以上に渡り、米を作り続けてきた農家がある。今回訪れたのは「御稲プライマル株式会社」。広大な40㌶もの水田を管理する農家が、福島の伝統的な発酵食品「三五八(さごはち)」で食生活に新たな風を吹き込もうとしている。その中心にいるのが、秋田県出身の後藤千夏(ごとう・ちなつ)さんだ。
「移住者」の彼女がなぜ福島の伝統食に目を向けたのか。そこには、米への深い敬意と、現代の食卓に寄り添う物語があった。
秋田出身の千夏さんが驚いた、福島の「当たり前」という宝物
千夏さんは、結婚を機に福島へ移り住み、農家の一員として生活を始めた。そんな彼女を待っていたのは、見たこともない食文化との出会いだった。
「実は私、福島の人間ではないんです。秋田の生まれで、家では“さごはち”を食べる習慣はありませんでした」
三五八(さごはち)とは、塩が「三」米麹が「五」蒸し米が「八」。その配合比率から名付けられた漬け床だ。冬の厳しい寒さの中で食料を確保するため、三五八に野菜を漬けた「三五八漬け」は、貴重な保存食として何世代にもわたり受け継がれてきた。
「福島の家族が当たり前のように冷蔵庫から三五八漬けを取り出し食卓に並べる。初めて口にした時、その奥深い甘みと旨みに驚きました」
そんな千夏さんの中で感動と同時に、地元の人にとって三五八は当たり前のもので、その価値が認識されていないのではないか。そして、伝統という言葉の影で現代のライフスタイルから少しずつ距離ができ始めているのではないか、という疑問が浮かんだ。夫が米の販売会社「御稲プライマル」を立ち上げたことをきっかけに、彼女は米の加工品づくりに深く関わるようになる。そこで彼女が選んだのは、自身を驚かせたあの「三五八」を、今の時代に合う形に変化させ主力商品として世に送り出すことだった。
「伝統」という壁を壊すための、大さじ一杯の挑戦

従来の三五八は、漬物の素として大袋に入ったものが主流だ。忙しく働く現代人にとって、サイズ感や簡便性は重要な購買基準になっている。試食販売を繰り返すうちに「『使い方がわからない』『失敗して残ってしまったらもったいない』『漬物は大変そうだから作らない』という声を多く耳にしました。伝統的な発酵食品であるはずの三五八が、いつの間にか“難しいもの”になっていたんです」そこで、ターゲットに据えたのは、自分と同じように忙しく料理を担う世代。ふとした瞬間に手に取れる手軽さ、それを実現するために「少量で使い切れる・陳列されていて目に入る」パッケージを開発した。
「大さじ一杯できゅうり一本。切って、揉んで、10分待つだけ」そのシンプルなルールが、三五八を「難しい伝統食」から「毎日のお助けアイテム」へと変えた。そして、千夏さんは社員と共に研究を重ね、スープや肉料理、魚料理などへの活用法を考案している。米麹の酵素が肉を柔らかくし、お米の甘みが野菜の旨みを最大限に引き出す。三五八を「漬物の素」だけで終わらせない、「お米の発酵調味料」として使っていただく。そんな活用法を日々研究している。
「主役ではなく、“お助けマン”でありたい」。千夏さんのその言葉には、料理を作る人へのエールが込められている。
米農家だからこそできる「一粒の妥協もない」贅沢

御稲プライマルの三五八を一口食べれば、「甘みの質」の違いに気づく。その秘密は、原料となる米へのこだわりにあった。通常、加工品としての三五八には流通の過程で割れてしまった「砕米(さいまい)」が使われることが多い。しかし、御稲プライマルは自分たちが丹精込めて育てた「食用米」を、そのまま贅沢に投入している。
「私たちは米農家だから米粒一粒にどれだけの汗が流れているかを知っています。だからこそ、加工品であっても一番良い状態の米を使いたいんです」
さらに、麹の配合にもこだわっている。乾燥麹ではなく風味の強い「生麹」を贅沢に使用し、米麹の割合を独自に調整することで、米本来が持つ甘みを引き出した。その背景には、本宮という土地への誇りがある。御稲プライマルが管理する広大な水田では「コシヒカリ」や「ひとめぼれ」をはじめ、本宮(五百川)生まれの希少な品種「まゆみ姫」など、幾種類もの米が育てられている。
「本宮の気候、風の通り道、夜の冷え込み。この土地だからこそ生まれる米の力強さがあります。そのポテンシャルを活かしながら、魅力や大切さを伝えていくことが、私たちの役目です。」
「まゆみ姫」のような地域固有の種を守り続けることは、地域を守ることと同義だ。三五八の一袋の中には、本宮の恵みそのものが詰め込まれている。
福島から世界へ。キッチンに並ぶ「358」を夢見て

御稲プライマルの挑戦は、国内だけに留まらない。千夏さんは今、三五八の海外展開に向けて一つ夢を抱いている。海外からの視察を受入れた際、三五八を使った料理を振る舞うと、参加者から「この美味しい味は何だ?」と驚かれたという。
「三五八は和食だけでなく、異国料理に使っても素材の味を驚くほど引き立ててくれる。世界中のどの国のキッチンに置かれても使える調味料になるかもしれない。」と期待している。
「358」という数字は世界共通だ。そのシンプルでキャッチーな名前とともに、福島の知恵が世界に行き渡っていくことを心待ちにしている。 サゴハチ漬けのようにゆっくりと、でも確かに。
本宮の土とともに、歩み続ける
「100年続いてきたこの場所で生まれた米を守り続けたいという思いがあります。」
御稲プライマルの三五八は、単なる商品ではない。それは、秋田から来た一人の女性が福島の当たり前をもう一度見つめ、農家のプライドを磨き上げた結晶だ。忙しい朝に三五八できゅうりを和える。その10分間に、100年の歴史と、本宮の恵み、そして千夏さんたちの想いが溶け込んでいる。御稲プラマイルの「プライド」は、気負った言葉の中にあるのではない。毎日の食卓を少しだけ豊かに、少しだけ幸せにする、その一匙の中にこそ宿っているのだ。
(インタビュー・文・写真:菅野海琴)

